今池の夜は、終わらない。

観劇を終え、帰宅。就寝。
そして、遂にこの日がやって来た。否、やって来てしまった。
大丸ラーメンが居を構える岐阜正総合ビルディングがその長きに亘る歴史を終え、大丸ラーメンもその運命を共にし50余年の歴史に幕を閉じる。
…はず、だった日。
さよなら大丸プロジェクト「今池午前二時」、6回にわたって行われてきたイベントの最終日はこの2012/8/31以外に他にないだろう。閉店を惜しみ、そして何よりも今までの感謝と敬意を大丸ラーメンに、大橋隆雄さんに捧げる日であり、僕はこの日の打ち上げで朝まで飲んで、そしてそのまま恐らくは9月の第一日から始まるであろうビルの取り壊しの様子を見に行こうとぼんやりと計画していた。

だが、閉店延期
2012年最も動揺したニュースが大丸閉店の報せであったのに対して、2012年一番の吉報がこの閉店延期だった。
9月中、という以外現状何もはっきりした事はわからないが、僕はこの大丸ラーメンのまさかの「アンコール」にかなり救われた。あと何度かは食べる事が出来ると延期を知って思ったし、実際何度か食べている。その度に「最高…!」と胸の内でひとりごちている。

そんな大丸ラーメンへの感謝の念を公然の場で燃やし上げる機会がまた、やってきた。
ONE BY ONE RECORDS presents『今池午前2時-FOREVER DAIMARU-』。この日、さよなら大丸プロジェクト「今池午前二時」は終了した。以下、僕視点のこの日の記録である。

僕にしては早起きをして今池HUCK FINNへ。
先頃発売した大丸コンピの挨拶まわりに行かれる今池HUCK FINN クロさん、ONE BY ONE RECORDS 柴山社長に同行させて頂いたのだ。
時間の都合上、どうしても名古屋の限られたCDショップしか伺う事は出来なかったけれど各店舗、情熱と愛情を剥き出しにした展開をして下さっていて胸にグッと込み上げてくるものがあった。涙腺が緩む事もしばしば。
HUCK FINNレーベルの代表であるクロさんは特に感慨もひとしお、展開を見る静かに感動されているその眼差しを拝見出来ただけでも同行出来て良かったと思う。

tower1.jpg
TOWER RECORD 熱田店での展開の様子。
僕達が店舗に伺った時は、何と売り切れ!
これが本当に「売り切れだもんだから、もうできません」(大橋さん風に)だ!!
こいつぁ幸先が良いや!コンピ収録バンドや縁のある名古屋シーンも併せての展開は、インディーズ担当者様から物凄い愛情を感じる。

tower2.jpg
TOWER RECORD 名古屋PARCO店では恐らくは名古屋最大規模の展開!
これには涙腺が緩んだねぇ。っていうか、泣いた。
閉店延期に伴ってもう二度と袖は通す事はないぞと決めていた大橋さんコスプレも、延期。
だって大丸コンピ展開の前で、この格好で写真撮りたいじゃん。
ちなみにPARCO店はこの日の夕方には売り切れになったそう。
インディーズ担当者氏曰く「もっとガツンとやるから!」との事。
漢!

tower3.jpg
TOWER RECORD 近鉄パッセ店にて。クロさんと柴山社長の昔馴染みの店員さんと。この御方、以前はHUCK FINNでライブをされてたそう。社長曰く「モッシュピットの上を運ばれてきてさ、ステージに上がってそのまま歌うの。滅茶苦茶格好良かったよ」との事。人に歴史有り、である。
東海地方を中心にライブハウスや練習スタジオetc.で配布されているフリーペーパー「2YOU MAGAZINE」との連動コーナーの下に展開!
パッセ店に限らずであるけれども、コメントを書いてきたので是非見てみてね!

hmv.jpg
HMV 栄店にて。
担当の方に柴山社長が声をかけた所「少々お待ち下さいね」と数分の後、上のシチュエーションが実現。
「来店アーティスト様達です!」とお店に来られた大物アーティストやアイドル、バンドマン達に紛れ込んで僕達3人が「さよなら大丸プロジェクト」を代表して一緒に並んでいます。
いいの、ねえ、これ、いいの!?
担当の方、物凄く暑い日だっていうのに長袖シャツにベスト、エプロンを着た僕を訝しむ事もなく本当に丁寧に親切に心のこもった対応をして下さった。
柴山社長曰く「メールでしかやりとりをした事はなかったのだけど、物凄く情熱的な方でね。やっと会えた!」と。こういうのがあるのも挨拶まわりの楽しさの一つですね。

発売前は名古屋のバンドマンや関係者の大丸に対する情熱に心打たれ、そして発売後は販売店様の気概と心意気に胸を打たれた。この挨拶まわり、僕がそういう一枚の盤に関わる人達の存在や情熱を再認識出来たっていう意味でも本当に行って良かったと思っている。

ランチ後、HUCK FINNへ。
メンバーの到着を待ち、リハーサル。
リハーサル後に睡眠不足や活動的に動いていた負荷(この頃の僕っていうのはちょっとしんどくなるとすぐにエナジードリンクを飲んで無理やり体をカチ上げて効果が切れて落ちて、の繰り返しだ)が一気に襲ってきて多分、ちょっとそれに引きずられて精神的にもナーバスになっていたと思う。物凄い緊張感に全然落ち着かなくて、開演後も受付をされてた下平さんに「舟橋君落ち着かないねー」と笑われてしまった。
自分を追い込む事に意味はないと思うし、それでライブがよくなるとも思わないけど、それでもこの日は色々と考えざるを得なかったのが正直な所として、あって。
2012年の夏はHUCK FINNで過ごした夏だったと言っても過言ではないくらい僕はHUCK FINNにお世話になったし、「今池午前二時」にしても関係者諸氏から程近い所で色々と見せて頂いたお陰で、実行委員の皆さんがどれだけの情熱をプロジェクトに注いで来られたかもその片鱗は理解しているつもりだ。
実行委員会の皆さんはまるで僕も関係者のようにして下さるし、それは本当に、物凄く有難い事である。けれどもきっと僕が知らない間にもきっと実行委員会は動いていた。僕の知らない苦労の方が多いに決まっている。
そんな人達が立ち上げ、そしてここに完逐しようとしているプロジェクトでのライブ、しかも最終日の最後の出演バンドだ、JONNYは。そこで何も残せないような演奏をしたら、自分は何のためにバンドをやってきたのかと思うだろうし、今の自分を作り上げたラーメンのために全力以上のものが出せないのならバンドなんて辞めた方が良い。
そんな事と、そして「終わってしまうんだなあ、寂しいなあ」という感情が入り乱れたまま、転換。

結果、敢えて断言しよう、僕は自分を誇りに思えるような演奏が出来たと思う。少なくとも恥じ入る事はない、それが一般的にどう評価されるかはわからないにしても自分で「残念だなあ」と思うような瞬間はあの40分と少しの間、一秒たりとも存在しなかった。ベースの音色は僕の意のままに僕の出したい音をそのまま出してくれたし(そして僕の演奏はメンバーと有機的に反応していたと思う)、体はともどなく汗を流し続けたけれども動き続けたし、この日はもう9割以上大丸の事しか話さないと決めていた曲間も言葉が溢れ出てきて(語り倒した、と言って良い。それでもあの夜の僕は大丸についてまだまだ話し足りなかったのだけれども)それをHUCK FINNに集まった方々はさえぎるでもなく、時に笑いと時に共感と時に否定と時に呆れ(僕ってば大丸ラーメンの事となるとちょっと我を忘れるくらいだからね)を顔に浮かべて聞いてくれた。
「大丸万歳!」
掲げられた沢山の腕が見えた瞬間、大丸ラーメンがどれだけ愛されてきたのかを再認識した気がする。

ダブル・アンコールを頂いた際に昂ってつい先陣切ってステージに上がった柴山社長の背中、ステージに招かれて姿を現したクロさんの真っ赤な目、そして同じく招かれて登壇したはみちゃんの笑顔と全てが印象深い。
訳のわからない方にはきっとわからなかったであろう、けれどもあの空間を作り出してまで労いたかった柴山社長の気持ち、実は僕には凄くよくわかる。

今池HUCK FINN、そして大丸ラーメン、勿論大橋さん、本当に有難う!
貴方方のお陰で不肖、舟橋孝裕、最高の28歳の夏を過ごす事が出来ました。
夏が終わるのがこんなに寂しいのは、初めてかもしれません。

コメント