大丸でのニ夜

昨日の早朝未明の大丸。
大橋店長が「もう材料切れだから!」と店内から叫ぶ中、どうにか入店してみるといつもより野菜が若干少ないくらいの普通の一杯が出てきて「ああ、大橋さんも疲れてらっしゃるのだ」と妙に申し訳なく、でもきっとこの人も「あと10年はやりたかった」と仰るくらい好きでお店をやっておられるのだから恥じ入る必要はないだろう、でもこれが本当に良い事なのか、と一瞬悶々とするも、いざ一口麺を啜るとやっぱりそこには快楽しかなくて。
さあ食べるぞ!っと気合いを入れたものの若干とんかつソースを野菜にかけ過ぎていささか辛い味になってしまった。良い思い出。

今朝方の大丸。
かしやま君(孤独部)ともぐら君(カメラマン、今は動画の撮影/編集をお願いしている)と深夜の路上でマウンテンバイクに跨って走るかしやま君にもぐら君が並走したり、まるっきり映画同好会みたいな撮影作業を進めた後に3時から並ぶ。
お店の前まで行くと既に20人以上の行列が出来ており、その半分は友人や知人だった。今朝方の名古屋は話によると今年一番の冷え込みらしく実際相当寒かった。けれども皆、そんな極寒の深夜の今池で寒さに身を縮めながら目をキラキラさせている。「さみー」と言いながらも笑顔だ。何だか大きなお祭に参加しているような、そんな一体感である。皆、兎に角良い顔をしている。
誕生日を迎えられたばかりのせんちょー(ナナフシ/JONNYサポートドラム担当)も単身並ばれており、そういえば22時間程前にお店の前で満腹を抱えての別れ際「24時間後もまた来ちゃうんだろうね」とご本人が漏らしていたなあと思い出す。

まだ開店していない。
長い闘いになりそうだ、と行列の27番目に加わって皆で談笑。今池HUCK FINNの皆、高校時代の後輩、友達のバンドマンやご近所さんも皆が皆、列に並んでいる。一体何時に空くのだろう、とワクワクしていた所に大橋さんの「散らし」が入る。
行列がご近所迷惑になるとの大橋さんの配慮故なのだろう、開店までまだまだ時間がかかるのに行列が長くなったり人が待っていたりすると(この辺は本当に日によりけり。読めない)大橋さんがお店の前まで出てきて「今日はもう出来ないから他で食べて下さい!」と皆を追い返すのだ。そう言って数十分後に開店する事があるという事を過去に経験した事がある者なら知っているので、お店から離れて路地に身を潜めてお店の様子を伺う「かくれんぼ」状態になるのである。
この日も「かくれんぼ」→お店に接近→「散らし」が入る→「かくれんぼ」といういつもの流れを繰り返した。
普段なら開店時間がどんどん遅くなるこの一連の流れも、やはりそれさえも皆楽しそうである。もう、皆わかっているのだ。こういう大橋さんとのやりとりが出来る時間も本当に残り少ないのだ、と。

実は「散らし」に対抗する策として環状線を挟んだ25m程、反対側の歩道はかねてから目をつけていた。
大橋さんもまさか道路を挟んで反対側から探られているとは思いもしないのか、意外とそこにはノーガードだったりするし店内の様子もそこからなら一望出来る。残念ながら匂いは流石にそこまで届かないので嗅覚を頼りにした行動は出来なくなるのだが。
作戦行動だ、とばかりにその環状線を挟んで反対側、お店の真ン前に位置取り店内の様子を探る。
かくれんぼ部隊の中、淡々と様子を伺っている柴山社長(ONE BY ONE RECORDS)と「こちら偵察部隊、現在動きなし」「了解」等とLINEアプリで連絡をとりつつ開店のその時を待つ。
これじゃあ丸っきり大人の戦争ごっこだ。敵は大橋さん?まさかまさか。そんな事、口が裂けても言わないし思いもしない。敵は自分自身、だろう。
開店を待つ人数はこの段階で30人近くになっていたのではないだろうか。その中の大多数はきっと5時間もすれば仕事に出掛けるはずで、その大丸への愛情を見せつけられた僕の胸は熱く燃えていた。
これはもう、是非全員で、食べたい!

1時間が過ぎ、1時間半が過ぎ、5時を過ぎた頃に反対車線からの偵察を中断し、僕達はかくれんぼ部隊と合流した。その間に何人かが断念し帰宅、そして新たにやって来た同好の士が深夜の今池に身を潜める仲間に加わっていた。柴山社長が100円ローソンで大量のホッカイロを購入してこられ、友人知人はじめましての方関係なく配っておられた。服に貼るタイプのそれはシャカシャカ振っても全然温かくならず、勝手の違いに柴山さん本人含め皆で戸惑う。笑顔が生まれる。
多くのドラマがあり、多くの感情がそこにはあった。
だが11月末の名古屋、深夜の寒さとまだ開店していないという現実は皆の体力、気力を確実に摩耗させていた。
「頑張ろう」「頑張ろう」と励まし合って開店のその時を待つ。

そして行列が再び構築された。
大橋さんもお店の中で調理されておられるのであろう、開店のその時が近づいている、という気配がこちらまで伝わってきた。ドヤドヤと動き出す我々。
「かくれんぼ」はそれ以前の並び順等全てが覆ってしまう。その点とともすれば近隣に迷惑をかけかねないという点は、少なくとも僕の主観上、その行動の中に一抹の重しとなってのしかかっている。
再び行列が出来上がり、僕は手足の先からどんどん体を侵食してもう二周くらいはしてるであろう寒さをどうにか紛らわそうとフードを被ってコートの中に顔を埋めた。少しでも体力の消耗を防ごうとそのまま壁にもたれかかり目を瞑る。もうすぐ開店するとして、20人以上の人間がラーメンを食べた後の入店。
ここからが、長いのだ。きっと気が遠くなる程に。

…。
人が動く気配に目を開けると、どうやら再び「散らし」が入ったようだ。
一体どうなるんだ、果たして開店するのか、と不安にかられながら退避。もう環状線を挟んで反対側へ動く気力もなく、僕は友人達と軽口を叩き合って乾いた笑いをあげていた。皆、目の中にどんよりと暗い灯りを灯している。「諦念」という二文字が見えて透ける。そりゃあそうだ。もうすぐ朝の6時なのだ。僕はまだ3時間だが、人によっては5時間近く並んでいる人もいるのではないだろうか。
それでもただただ並んでいる。「閉店」という現実に対して自分達なりのお別れを、節目を、感謝の念を記憶の中に刻みつけようと黙々と並んでいる。

決着をつけたのは大橋さんの「今日はもうやりませんから」という言葉。
朝6時を過ぎた段階で開店していない状況、そしてその時間。寒さと疲労に苛まれた状態でのその言葉は何よりもリアリティがあったし重みがあった。ああ、今日は本当にやらないのかもしれない。大橋さんは首尾一貫して少なくとも今日に限っては本当の事を言い続けていたのかもしれない。
「今日はもうやりませんから」。
だからこそあそこまで必死に「散らし」たのかもしれない。
もう、十分だ。
十分楽しんだ。今日は一生涯忘れる事の出来ない素敵な夜だった。同じ大丸を愛する仲間達と過ごした、今池での壮絶な、そして壮絶に素敵な夜を僕は絶対に忘れないだろう。
胃袋をきりきりと締め上げる飢餓感は近所の松屋で満たせばいい。大橋さんもよく言うではないか「帰って下さい、松屋さん行って下さい」と。ならばそれに則って松屋へ行こうではないか。それが最後まで大丸を楽しむ気概ってもんじゃあないのか?
数分後、大丸最寄りの松屋店内には朝6時にも関わらず20人近くのお客さんが。
その中の2名を除いて、他は全員大丸に並んでいた仲間達だった。
供されたトンテキ定食の丼一杯の特盛ご飯の温かさにホッと安堵する。トンテキの濃い味付に、ちょっとだけ大丸の残像がよぎった。

松屋店内の顔見知りばかりの一体感、温かさは本当に居心地が良かったけれど、それでも長居する事なく僕は店を出なければならなかった。
帰宅して、一分でも多く眠って、そして今夜もあそこに戻らなければならないのだから。

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