家族について。

最近専らハマッているザ・フロイトのビッグ・コモリこと小森君のブログが家族に関するものだったので、僕も些細ながら家族に関して書いてみようと思う。

親しい友人連中はご存知かと思うが、僕の家族に対する執着というか感情は露骨で、そしてわかりやすい形で滲み出していると思う。自分がファザコンであると公言する事に一切の抵抗がないし、母親とは思春期を経て今や親友の域であると僕は感じている。そして兄一家は理想の家族像を僕の高校時代から体現し続けている。

僕は所謂中流家庭で愛情に飢える事なく育てられた、と言えるだろう。両親に言われて傷になった言葉もないし(逆はあるだろう。思春期の僕というのは本当にとりつくしまもない、どうしようもない奴だったのだ)両親の情操教育は今の僕を形成するのに大きな効果を打ち出したと断言できる。

郵便局員である父は、休日に職場の皆で行くバス釣りやキャンプに僕を連れて行ってくれたし、帆船模型のサークルから船舶を見に行くのに連れて行ってくれたり、兎に角休日のイベント毎は父と行った記憶がほとんどである。今なお僕の心を捉えて離さないディズニーランドに最初に行ったのも父と二人だったし(正直に打ち明けると僕がTDLに執着する理由の何割かは当時の鮮烈な記憶に依る所がある)、映画『ジュラシック・パーク』へ行ったのも父と二人だった。父は自分の興味の対象に僕を同伴する事によって僕の嗜好を形作ったのであった。

高校時代にエアーガンにハマッた時期がある。夜、自室にて一人でエアーガンを弄りまわしていた際、突然父が僕の部屋を訪れた。世間一般的にこの趣味がどのような印象を与えるかを十二分に自覚していた僕は咄嗟にエアーガンを隠したのだが、どうやら父には見られた様子。

「お前、そういうのに興味があるのか」

挙動不審になりながらも内心の動揺を悟られまいと普通に会話を継続しようとする僕。

「と、父さんも興味あるの?」

「ちょっと来なさい」

僕は父の部屋へと誘われた。高校生にもなって怒られるとは思っていなかったが、予想外の展開に動揺を禁じえなかった。

父は自室の押入れの前に立つと「もう持ってる」と言い襖を引き開けた。

そこには、アメリカの軍用自動小銃、アクション映画でお馴染みのポンプ式ショットガン、そして室内で取り回しの良い小型の自動小銃が並んでいた。勿論実銃のはずもなくエアーガン或いは電動ガンだったが、それらにつけられた照準機、赤外線搭載スコープやストラップ等から父が随分とこれらにお金を次ぎこんでいるのがわかった。

「興味があるなら貸してやる」

こうして、僕は随分と豪華な装備でサバイバルゲームに興じる事になったのであった。

この父にして、自分がいる事を痛感した一例である。

ちなみに音楽的観点からも父の影響を感じる事ができる。ビートルズ愛好家の父は、恐らくは世界で一番有名なベーシストである、サー・ポール・マッカートニー贔屓であったのだから。

そして母。

光景までしっかりと憶えているのが、僕がまだ活字もほとんど読めないような時分に母が毎晩読み聞かせをしてくれた事だ。

『危うし!ズッコケ三人組』という有名な児童文学シリーズの一作で、仲良し小学生3人組が無人島に漂着、サバイバル経験をするという冒険譚である。母はこれを毎晩少しずつ少しずつ僕に読み聞かせてくれたのである。最近まで幾度と読み返してきたのだけれども、この作品、未就学児には難しい箇所もあるのだがそれでも母は僕がわからない所は説明しながら読み聞かせをしてくれた。僕が読書に抵抗がなくなったのはこの夜毎に行われる読み聞かせが根底にあるのは間違いがないし、更にはこうやって毎日のように自分自身を焼き付けるようにエントリーを投稿し続けているのも、間違いなく母の影響であろう。

僕が自分自身で活字の世界に入っていくようになってからは、母は良きライバルであってくれた。ありがちな親子喧嘩は勿論、ニュースやその他様々な事に対して僕達は口喧嘩、そして議論を重ねた。思春期はお互いに腹を立てたものだけれども、今思えばお互いに性格が似ていると自覚しているからこそ決着がつかないのであって、そこには衝突にまつわる陰惨で、尾を引くようなイメージは不思議と残っていない。

思うに母は僕に気を使ってくれていたのではないか、とも思うのだけれど。

思春期の頃は、一体この人達とうまくいくものか等と思ったものだけれども、大学の頃から何の違和感も引き金もなく僕は家族に対する自分の感情に対して素直に振舞う事ができるようになった。

一体何なのだろうと考えてみてもやはりこの僕自身を作ったのが(生物的にも、精神的にも)あの両親なれば、その影響はやはりあの両親からくるものなのかと考えてみたりもするわけである。

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