自宅隔離生活、再び。

妻が新型コロナ陽性の判定を受けた。
連絡があったのは仕事中、コツコツ続けてきた取組が一つの成果となった直後の事であった。
元より妻の体調は微妙であったのだが、どうやらあまりにも高熱が出たので自宅最寄りの病院に連絡、検査して陽性判定が出たとの事であった。

仕事の喜びに浸る間も無く、そのまま直帰する事に。そりゃそうだ、どうやったって僕は濃厚接触者だ。自治体の規定、会社の策定したルールに則るまでもない。
やりかけの仕事もあったが、ひとまず自宅待機期間を終えるまでの間に終えねばならぬような緊急の仕事はなかったので、最低限の引き継ぎだけをして職場を後にした。
最低でも数日間、もし自分や娘が発熱した場合は更に伸びるであろう自宅待機期間に備えて買い出しでもしたい気持ちであったが、それも人道に反する。
助けを求めなければならない事もあろうかと会社からの帰路中に実家に連絡を入れた。買い出し等々は娘が陽性判定で自宅待機した時(2022年2月の事である)と同じように、任せておけと有難い言葉を貰った。実家が近くて助かった、と再度実感した。

自宅に帰り、妻の自宅内隔離の準備を進める。
幸い、半ば物置のようになっている部屋があるので電気ヒーターを持ち込み、布団を敷けるように最低限の空間を作り、妻を隔離した。以降、食事は部屋の前まで持っていき、都度都度LINEで連絡を取り合い、トイレ等のどうしても共用しなければならない空間は妻が出入りする度に除菌スプレーを用いて除菌を行った。勿論、マスクはお互いに外さないようにし接触も最低限にした。
妻によると陽性判定が出てからの数日は高熱で大変しんどかったらしい。
体調が回復に向かうにつれ、妻は延々と続く療養期間をDisney+で『シコふんじゃった!』を観たり(まさか映画の続編が観られるとは思わなかった。僕も視聴しているけれども周防監督の映画を楽しんだ方は間違いなく楽しめる)、Nintendo Switchに興じたりして過ごすようになった。この頃になると娘はとっくにこの引きこもり生活に飽きており、外に出たがった。そりゃあそうだろう、本当なら保育園で友達も公園を駆け回っている頃なのだ。
それでも濃厚接触者の身、白昼堂々、往来を闊歩するのは感染拡大の観点からも憚られ、せいぜいが夕食後に娘とドライブに出掛ける程度で外出は済ませていた。
この夜のドライブ、結構僕は楽しく、娘がまだ赤子だった頃、夜泣きをまだしていた頃に娘が落ち着くまでドライブに連れ出した記憶を思い出させた。
「昔は結構こうやって2人で出掛けたんだぜ」なんて言いながら娘の保育園での話等を聞きつつ、瀬戸駅に向かったり豊田に行ったりした。

12日中に東京に向かい、13日のお昼間は東京にて鈴木実貴子ズの投げ銭ワンマンにてベースギターを弾く予定であったのだが、当然濃厚接触者であるが故に出演を辞退。
妻よりも少し前にコロナ陽性の判定を受けて自宅療養を過ごしていた鈴木実貴子ズの2人は、全快でないにしても療養を終え東京公演を開催した。サポートギターの各務君も同行し、数曲だがギターも演奏したとの事。
大切な公演に穴を開けるのはやはり悔しい思いだったが、それよりもこの家庭の有事を無事に乗り切る事がまずは第一。感情は冷凍保存は出来ないけれども、記憶に留める事は出来る。
しっかりと保存して、バネにする日まで留める事にした。


皆既月食を写真に撮ったつもりが、こんな写真にしかならなかった。
妻が自宅内隔離中だったので自宅前に出て娘と見たのだが、印象に残っている。