2017年の演奏納め。

深夜、リビングにて。
頂き物の高級あご出汁を使った具なし味噌汁を作って飲みながらこれを書いている。マグカップで啜っている分には珈琲っぽいが味は完全に味噌汁だ。しかも美味い味噌汁。出汁が大事というのはどうやら本当らしい。
昨年末の最後の演奏について書いておく。

名古屋での演奏納めの翌日、年越しに向けての大掃除やら酷使した/する体のメンテナンスにカイロプラクティックに行ったり(友人が施術をしており良くして貰っている。こういう専門技術を持った友人がいると友人ならではの距離感で質問等出来るので有難い)した後、仮眠、明け方に起床して31日の早朝未明、名古屋を出発した。
目的地は東京、大晦日に最後の一日を送る事になる新宿JAMにてJONNYで演奏するための演奏旅行である。ちなみにメンバーとは現地集合、現地解散。僕は演奏後に早々に帰らねばならなかったのでむしろ都合が良い。

新宿JAM、閉店。
ビルの老朽化に伴って、との事であるがまさかJAMが終わるだなんて。新宿JAMは有名なので説明するまでもない事であろうけれども、つまりそれくらい長く続いた老舗ライブハウスである。
けれども場所としては格式高く構えるとかそういうのは全くなくて、石塚店長も大変気さくで愉快なおじちゃんである。石塚店長に声をかけて貰い、有難い事にJONNYで何度もお世話になった。どうせならちゃんと別れを告げたい、最後に演奏したいと思った。けれども今やライブを行う事がなかなか難しいJONNYであるからなんとなく「ああ、このまま演奏する機会もなく閉店の日を迎えるんだろうな」と少しだけ寂しい思いをしていたのであった。それがまさか機会を頂けるだなんて。
大晦日だもの、東京遠征だなんて普通だったら考えられないけれども折角の機会なのだ、この日演奏しなかったら一生後悔する、そう思って予定を調節した。
新幹線が予約出来るのか、そして予約出来たとしても大晦日のバタバタした中、組んだタイムテーブル通りに動けるのか怪しかったので結局僕と妻と友人の三人交代の運転で東京へ向かった。
大晦日だし高速道路もきっと渋滞しているだろう、と息巻いて早めに出発したのだけれどもさにあらず、むしろ空いていたのでいつもより早く到着してしまった。時間に余裕があったらやっておきたかった事(ハードオフ楽器スタジオ詣出、富士そばを食べる、漫画で見た銭湯に行く等)は全部やった。ぼちぼちメンバーと取り決めた集合時間だったので新宿へ向かう。

新宿JAM横の駐車場に自家用車を停めて店内に降り立つともう賑わっている。最後の一日、という風情よりかはお祭騒ぎといった感じだ。湿っぽいのは似合わないもんな、と勝手に思った。
程無くして到着した篠田メンバー(流石東京在住、早過ぎもせず遅過ぎもせず)と近況を話したりしていると、佐藤さんとせんちょーは時間ギリギリの到着になりそうとの事。
大晦日だもんな、で済んでしまうのがこの日の良いところ。そしてもうすぐ約一年ぶりに行う4人での演奏が妙に楽しみで些末な事は気にならない。
前のバンドの演奏が始まった頃(観たかったな、サーティーン)頃、楽屋で練習。全員生音、せんちょーに至っては口ドラムなので皆で自分のフレーズを口に出して確認。
久しぶりの演奏だし練習らしい練習はしてないけれども、どうにかなるはずだ。俺達何年バンドやってんだ。

だけれどもステージにはやはり予測不可能な出来事が待っている。
持ち込んだ愛用のアンプヘッドが異常な動作を起こしており、にっちもさっちもいかない。常設のアンプヘッドは苦手なアンペグ(しかも転換中にすれ違った将棋部a.k.a Emily likes tennisが「JAMのアンペグはバキバキいうなぁ!」と言っており、事実その通りだった。ミドルを上げるとトレブルが持ち上がるくらい腰高。されど重低音は出る)だったけれどもなあに、こうなりゃ音が出れば良い。転換中のステージ上は既に篠田君の爆音のギターでよくわからないカオティックな空間になっている(良い意味で)。さあ、やろう。

楽しい演奏はあっという間だけれども、随分と濃密な時間だった。昔は体の思うがままにやっていた演奏だけれどもメンバーの挙動にも少しだけ以前より意識を向けられるようになった。俺達は確かにバンドで確かにチームなんだな、と一年ぶりに演奏する人達に対して思えたのは2017年の一つの大きな収穫だったかもしれない。
演奏終了後、機材を半ば無理やり詰め込んで新宿を後にする。バンドメンバーで挨拶出来たのは唯一佐藤さん、しかもステージ上で別れを告げた。なに、またそのうち、きっとやるさ。

2018年を迎えたのは高速道路の上でだった。同行して貰った妻や引きずりまわした友人には悪いけれども、僕に似つかわしい新年の迎え方だな、と思った。
2018年も宜しくお願い致します。

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