2017年名古屋での演奏納め。

新年明けましておめでとうございます。

普段からこのブログを読んで下さっている方、こんな自分自身のためにしか書いてないような日記を普段からチェックして下さって有難う。僕の人生にお付き合い下さいね。たまたまこの日記を読んでいる貴方も有難う。すれ違ってこれっきりかもしれないけれども、まあいずれまたお会いしましょう。

というわけで2018年1月1日、正午頃、レッドブルをグラスに注いで氷で冷やしたものを飲みつつこれを書いている。お正月特番は15分くらい観てよく知りもしない芸人の漫才できっちり笑ってしまったのでもう満足。この後は初売りを冷やかしに行こうと思っているのだけれども(僕が狙っているのは、そう、エフェクターだ)、それまで少し時間が空いたのでこうしてブログを書いている。2017年の事でどうしても書き記しておきたい事が2つあるので、それをこの正月休みの間にバババッと記録しておこうという魂胆だ。

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2017年名古屋での演奏納めは鈴木実貴子ズのサポートで鶴舞K.Dハポンにて。12月29日(金)の事だ。

この日は仕事をきっちり納めてから機材を積み込んだ車でそのままハポンに向かい、心配して(させて)損させたレベルで開場前に無事到着。
この日はハポンのモモジさんプレゼンツのプルタタと実貴子ズのツーマン。お恥ずかしながらプルタタは初見だったのだけれども、この日はダンサーに人形操演に演奏に、とまさにお祭り、祝祭ムードで空間に飲み込まれるよう。何だか心が綺麗になるようで(高橋君も言っていたけれども禊のようであった)様々な要素がその時間と空間に集まっているのに観ているこちらはどんどんとプリミティヴな方向に向かっていくのが大変面白い実感であった。
共演でなければ、と久しぶりに思う。特にこんなバタバタ移動して駈けつけてきた日にゃあ演奏前から準備とか色々立て込んでいてゆっくり観る事もままならない。

名古屋での演奏納め、かつ去年一年通じても鈴木実貴子ズのサポート活動は印象深い活動だったので気合いは十分。
練習の成果と練りあがったバンドアンサンブルを顕在化しつつも実貴子さんの歌を邪魔しないように、願わくば押し出せるように、と注力して演奏する。このバンドでの演奏はシンプル極まりないけれども、その分曲の筋肉というか抑揚、呼吸、そういったものにダイレクトに影響を与えるようで非常に弾き甲斐がある。一音強く弾き過ぎるだけでもその後の演奏の意味合いが変わるような、勝手にそれくらいの気概を持って演奏している。ほら、面白そうだろ。いいだろ、弾いてて楽しいんだぜ。
この日は演奏しながら多くの感情が行っては来てして、ああなんて心が豊かになる演奏なんだ、色々なものが引きずり出されるなあと感じた。実貴子さんは途中のMCで「私は多くの死骸の上に立っていて」と話し始めて大変興味深く思った。同じ実感が僕にもあるからだ。「そんな自分を大変申し訳なく思います」。ああ、この人はなんて謙虚で美しいんだ。死体の山の上で死体を更に踏みつけるようにして踏ん反り返っている僕に対してこの人の在り方はかくも美しい。心の綺麗な人は人の心を打ちにいく事が出来る。僕のような人間は辻斬りの如くやたらめったらやる他あるまいよ。

演奏終盤、紙吹雪が降って来た。
上の写真でもお分かり頂けると思う。心優しい子ども達がプルタタの演奏で降らせたものを転換中から拾い集めて用意してくれていたのだ。おいおい、美し過ぎるだろ。目の前が紙吹雪に包まれてその向こうに見える客席の景色が全く別のものに見えた。ハッとしながらも演奏を続けた。汗をかいた首筋に紙吹雪が引っ付いてくる。二重の意味でくすぐったかった。まさかこんな思いが出来るとは。


2017年、名古屋での演奏納めは非常に印象深いものになった。有難う。

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