ロフトの下、メキシコークを舐めながら睨め上げる。


メキシコークを飲みながら素敵な音楽を聴いて心の琴線に触れたのだろう、どんどんと内省的になっていき、気付けば耳はその場に満ちた音に向きながらも自分自身はどんどんと己がセンチメンタリズムに向かっていった。

先日26日は吹上 鑪ら場にてMoNoSiRoにて出演。
オープン前から芝居の稽古やらふらりと遊びに行ったりと何かとお世話になっている鑪ら場に、ようやく出演者として訪れる事が出来たというのがまず何よりも感慨深い。鑪ら場、開店おめでとうございます。僕達の素敵な遊び場です。応援しております。

さてMoNoSiRoは駒田君(パイプカツトマミヰズ)をサポートドラマーに迎えて二回目のライブ。この編成になってから場数を重ねる事は出来ていないけれどこの日鑪ら場でやってみて、ようやく金森君が自分のペース(バンド内的な事だけでなく活動のスタンス的な部分も含めて)で伸び伸びとバンド活動を続けられる状態になったのかな、と相応に横で見てきた人間としてはこれまた感慨深く、また背筋が伸びる思いがした。
金森君という人間は天然でちょっとおかしな部分もあるのだけど、どこかで多分僕の演奏をバンドに取り込むという事に対してしっかりとヴィジョンがあるのだろうな、と思えるからこちらもやり甲斐があるし弾き応えがある。
僕は彼に演奏能力を、彼は僕に制作能力をもってして技術を提供しあう、という名目で始まった新栄の一部屋から始まった共闘体制もようやく円滑に動き始めるのかしらん、と静かにワクワクしている次第だ。

さて、鑪ら場は開店してまだ間も無く、爆音を出す事に対してはまだちょっと、というかシチュエーション的にもそれが相応しくないというか美しくないというか、そういうのは「大音量最高、フィードバック最高」な僕でも流石にわかっていたし、鑪ら場のお二人も十二分にそれを踏まえてバンドの音作りに対しては当日が近付くにつれ、会う度に「遠慮なく言い合いましょうね」という話をしてきた。どこでも同じ音を、というよりかはその場に適切な音の中で自分をどう出すかの方が面白いと感じる志向であるが故に、さてこの日はどうなるかと楽しみにしていた。

鑪ら場でこの日僕が鳴らした音は普段よりかは確実にスケール感で言えば小さい、なんならバンドアンサンブルの中での比重的な観点からもいつもよりかは小さかったかもしれない、けれどもある意味ではそれまでより雄弁だった、と言えるかもしれない。
ファズはそれまでより確かに迫力はなかったし(それは小口径のキャビネット、そしてその日のセッティングとの相性もあったろうけれども、ゴミ屑みたいな音でもなかったよ)貫くような音でもなかったろうけれども、繊細なニュアンスはそれはもう出しやすかった。手元のピッキングや左手のニュアンスがそのまま素直にアウトプットされる感覚は楽しくて、正直に言うとこの日はここ最近で一番丁寧に演奏する事に無意識に没入出来たかもしれない。
蛇口をひねっていくというのかなんなのか。
無論、感情的にグワアッと叩くのも好きだけれども自分がおざなりにしがちな、というか目を向けてこなかった自分の引き出しが一つ勝手に開いた感覚、それがこの日は確かにあった。
いやあ、すこぶる面白かったね。あれは本当に面白かった。アンサンブル中での自覚もそれまでとは違った心持ちになった。
勿論普段からガツガツやりながらも持ち合わせていなければいけない感覚なのだろうけれども、この日は完全に鑪ら場によってその感覚を思い出させて貰った気分だった。
ここから精進しないとなあ。

共演者もナイスヴァイヴスで舟橋は終始ご機嫌でした。良い場所には良い人が集まる。

このセンチメンタリズムも多幸感も、全部が全部、俺の、俺だけのものだと思った。
良くも悪くも人と何かを根本から共有する事に躍起になっていたのかもしれない。それはそれできっと一つの美しい姿勢なのだろうけれども。
だけれども、ねえ。
持った上での何か、じゃないか、なあ俺。

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