「さいごのうた」と彼の話。

先週ぶりの芸小へ、今度は出演ではなく手伝いで二日間通ってきた。
あ、少しだけ顔出したのも入れると三日間か。

孤独部第二回本公演「さいごのうた」。それにまつわる、ちょっとした思い出話。専ら、彼についての。
愛知芸術文化センター小ホールの広さは、先週行ったばかりだからすぐわかる。というか先週行った際にもこの二日間の、彼のやろうとしている事を思って「まじかよ」と思った。だってさ、芸小で25歳の男が(年齢って問題ではないけれども、この場合は活動歴と捉えて頂ければ)一人芝居で単独公演を行うってんだから。2日間、合計3公演。
そりゃあやる事自体は誰だって出来る。然るべき手続きと、あとは元手となるものさえあれば誰だって場所をおさえて単独公演を行う事は可能だろう。だけれども、どんな25歳でも出来るだろうけれどもどんな25歳も行わなかった事をやるってんだから気概を感じる。
公演日時自体は一年程前に決まっていた。そして僕はその公演の手伝い、中身の方の手伝いで参加を要請されていた。
音楽を演奏するはずだったし実際結構な人数の人間が彼のその目標に向かって集まったと記憶している。彼自身も必死だっただろう。
しかし、彼は相応の時間を重ねた結果、一人でその大舞台に挑む事を選んだ。
最初は思わず笑ってしまった。
「おいおい、本気かよ」と。本気だった。
ずっと、彼はそういう男だった。

何なら3公演全部観に行こう、と思っていた時に本人から「手伝ってくれませんか」と連絡を貰った。
断るはずがない。内容がなんだって僕は手伝う気でいたし、彼の頼み方っていうのは実に心を打ったのだった。その、なんだね、兎に角参加して欲しいっていう気持ちを勝手に感じちゃったんだね。

で、昨日と今日と僕は音響ブースにてフェーダーを上げ下げしたりituneの再生ボタンを押したり、何より嬉しかったのが開演前の前説をやらせて貰ったりした。音響ブースの中でマイクに向かって注意事項を読み上げる。なんて事ない役割かもしれないけれども、僕は結局一度も噛まずに、自分でも驚くくらい気持ち良く読み上げる事が出来た。
あとは、彼の邪魔にならないように、けれども自分が思う彼と自分との距離感を考えてひょっとしたら何か出来るかもしれない、と彼の近くをウロウロしたりとりとめのない話をしたり真面目な話をしたりした。
彼は舞台の下ではあまりにも温度を感じさせる人間だ。人を受け入れない、距離感をとる人間だと言う人もいる。けれどもなんだか長くもないけれども密度を感じさせる時間を重ねてきた結果、距離感とか親密さってさほど問題でもなくなった。僕の事をよく知らない、と言う彼に対して僕は彼が結構僕の事を知っている事を知っているし多分彼も僕がそう思っている事は知っているんじゃあないかと思う。
そういう人間に対しては僕はどこまでも純粋に向き合える。純粋に、彼のこの本気の公演を成功させる手伝いをしようと思った。

通し稽古を通じて合計5回、彼の作品を観た。どれも内容が違うもので、中には180度真反対のベクトルを向いたものさえあった。けれどもどれも彼そのものだった。何てドキュメンタリーな男なんだろう。
作品の中身について細かく書く気はないけれども、千秋楽の最後の回、昼の部を終えて疲れてはいるけれども目だけは決して挑戦する事を、自分に対して真摯である事を諦めない彼の目つきに僕は一人感じ入ってしまったものだ。

千秋楽、音響ブースの中で僕は涙を流していた。
彼の言葉、彼の立ち振る舞い、彼の放つオーラに僕は心を掴まれて、感動していた。彼の孤独っていうのは何て深くて、何て心を揺さぶるのだろう。
人が作ったもので涙を流す、そして作り手として打ちのめされる事っていうのは痛快だ。それ以降はずっと音響ブースの中で立ち上がって彼の作品を見守った。いやはや、本当に良いものを観た。

お疲れ様でした、樫山重光君。
良いものを観せてくれて有難う。忘れない、得難い時間でした。

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