「舟橋に気を付けろ」

数年前に非常に限定的な一部のコミュニティではあるが、そこで「舟橋に気を付けろ」という風評が流れて(つまりは流れる、という表現が可能なくらいにはそのコミュニティには人がいたという事だ)いると知った。
学生時代に所属していたサークルでも代々、新入生には全く同じ注意が先達から施されていたそうだ。
身に覚えがないと言ったら嘘になる。
僕は随分と奔放な生活をしていたからだ。別段、デカダンを気取っていたわけでもないのだけれど。
であるからして、衝撃を受けるでもなく、その警句が流れているという事実を「まあ、そうだろうな」と思って受け止めた。主観がどうであろうと自分の行動が否定的な受け取られ方をしてもしょうがない、と思ったのだった。

不思議なもので、それ以降かな、私生活について特に言及していない場合に於いても、そして上記のような警句を受け取っていないであろう人々に対しても僕と僕の私生活は大腕を振って歩き出したようだ。ほぼ初対面でも対峙した異性から「貴方はきっとそうなのでしょう」という視線を浴びる事がままある。そこに否定的なニュアンスはないにしても、これは実に興味深い事実だ。
パーソナリティの一部が僕という人間の印象に色濃く反映されているという事になる。

清廉な人間はそのような雰囲気を纏い、堕落した人間はそのような気配を纏う。
そのような事があるわけがないとも言ってられないようである、人間関係。
本当の悪党はきっとそういうのも巧みに隠すのではないか、と思い、果たしてそのような事が可能なのかと実践して検証しようと試みた事もあったけれども僕という人間の器の小ささ故か、それは果たされなかったようだ。
本当に性根の悪い人間の、その恐ろしさを知った。

この週末というのは警戒されたりされなかったり、様々な瞬間瞬間を興味深く受け取った。
何があったわけでもないけれども、僕と他人との関係や親密さというのは多様性に富んでいるなと改めて認識せざるを得なかった。
良い友人に恵まれている。

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