自己顕示欲のシステム

つくづく得な性分だと思う。

他者の生き様への『隣の芝生は青い感』とでも言うのだろうか、「ああ、もし俺がこいつだったらどんな感覚だったんだろうか」というのを考えたりもするのだけれど、そういうどこか切ないような勿体無いような、そしてあけすけな言い方をしてしまえば妬み、嫉み、羨望etc.そういった下から相手を見上げてしまうようなそんな感情を人に対して抱く事というのが下劣で醜悪な事だという自覚はあれども、なかなかどうしてやめられやしねえ。

当ブログを以前から訪れて下さっている方は、僕のそういう「少なくとも自分よりこの人の方が瑞々しい日々を送っている畜生めが」という感覚をモチベーション、何であれば全ての行動の行動原理としてしまう事は直接的な明示、或いは行間から察してくださっているかもしれない。

僕というのは見る人から見れば自分自身を手の平で転がしている、酷く滑稽な人間かもしれない。他人の人生を何であれば無理やりにでも自分の人生より素晴らしく、瑞々しいものに仕立て上げて(それをする場合、直接的にその人間を知らない、知りえないインターネットという媒体は非常に有益である。相手の虚像を好きに作る事が出来るのだから)それを温かい気持ちで眺め、数十秒後には自分自身を省みて眉をひそめ、かといって相手のそれを『なぞる』には自分と相手はあまりにも根本的な生き方のスタンスが違いすぎると気付き、最終的にはただただ妬ましく思うだけ。そしてこれが滑稽たる所以の核たるものなのだろうけれど、それが僕という人間を奮起させる事を誰よりもよくわかっているのが僕である、という点。そうなる事を期待して一連の行動に踏み出してしまえる点である。

自分の中の醜悪な感情、そしてそれが裏打ちする「僕は等身大の、平凡な、俗な人間だ」という確信。それが自分自身の感性に発破をかけ、磨き上げる事を僕は知っている。表現というのが闘争なれば、僕の闘争相手は僕が羨望の感情を抱く相手なのだ。そうして僕はそこに闘争の『大義名分』を掲げ、ならば連中の目を叩き覚ましてやると意気を高揚させるのだ。

ああ、何てポジティブなネガティビティー!ネガティブな感情すらも自分の中でのシステムに組み込んで、それを二重三重に強化すれば僕自身が永久機関足り得るのだ!

自分以外の存在がそこに存在し続ける限り、闘争の匂いをそこに嗅ぎつける事が出来る得な性分。

そしてそれがコンプレックスと、他者への羨望から起因するという得な性分。

更にはそんなシステムを作り上げた自分、自分のシステムを妄信している自分を滑稽だと思える得な性分。

いいだろう。

コメント

  1. SECRET: 0
    PASS:
    欲が尽きないですね。

    舟橋君は今のままで十分素敵だと俺は思うのだけど…

    でもその素敵な要素にその貪欲な部分が含まれているのだな。

  2. フナハシ より:

    SECRET: 0
    PASS:
    >ピコ・ピコリンさん
    恐らくこの自己顕示欲、満たされる事は困難かと思います。
    貪欲で、俗な僕が如何様にやっていくかお楽しみ下さいw