父として、演奏家として。

少し前の事になるが演奏、又はそれに臨む際に非常に印象深い時間を過ごした経験があるのでそれについて書いておく。
初めてベースギターという楽器を握った高校3年生の頃からずっと楽しく続けてきた『道楽』であるところの演奏活動だが、結婚そして妻の出産と所謂ライフステージを経た事によって生じた環境の変化、それに伴う責任の変化を強く痛感させられる一日を過ごした。今から一週間程前の事である。

11月23日は鈴木実貴子ズが静岡で開催されるサーキットイベントに出演する、という事で僕もサポート参加する予定だったのだが懸念材料は娘の体調不良だった。
娘も一歳になり以前より大いに歩きまわるし感情表現も益々豊かになり我が家は大変賑やかなのだが、あの年頃の子どもというのはやはり体調を崩しやすい。保育園に通っている娘は尚更である。風邪を引きやっとそれが治ったと思えば次の風邪を貰ってくる。そうやって免疫力を高めているわけだし人からも「3歳を超えると物凄く丈夫な子になるよ」と励まして貰えるが、その頃娘は一週間以上風邪をこじらせていた。鼻水がぐずぐずいうのはまだいいのだが、39度近くの高熱が出ていた。かかりつけの先生曰く「風邪をこじらせている」と大病であるわけではないとお墨付きを貰ったのだが、それでもやはり高熱を発しながら普段よりグッタリしている娘は妻と僕を心配させるには十分だった。加えて痰が喉に絡まるのか眠っていても苦しそうに咳をしているので僕達夫婦の娘に対する同情は募るばかりであった。
処方薬を飲ませ、夜咳で目が覚めて泣いている娘を抱き、揺らして眠りにつかせる。
22日から23日にかけての夜中も高熱が出ており(日中は下がるのだがどういうわけか夜中になると熱が上がる。子どもってそういう子、多いみたいね)妻もナーバスになっていた。ただの風邪ではあれども高熱を出す娘の世話を妻一人に託すのもあまりにも負担が大きかろう。
物凄い葛藤があったが、夜中に高橋君に連絡。現状を伝える。場合によっては静岡に行けないかもしれない。自分の中での演奏に対する矜持と父親としての想いがぐっちゃんぐちゃんに入り乱れ、結構動揺したわよ僕も。

翌朝、娘は幸い熱が下がった。
妻と相談した結果、集団行動ではなく単身静岡入りをし演奏が終わり次第現場を離れ少しでも早く戻るという事で演奏に参加出来る事となった。
有難い事に娘の熱はそれきり上がらず、体調も安定し鼻水も処方して頂いた薬が効いたのかどんどんと減少し娘は再びはちきれんばかりの元気さを取り戻したのだが、今回の一件は今後起こり得る事態を想定させるには十分過ぎるものであった。咄嗟の時には迷わず冷静に判断を下せる男でいたい、と思うのだが果たしてそう出来るだろうか。
そもそもからして事前にもっと出来る事があったのではないか。事無きを得た今でも悔いが残るのだが、きっとどう行動した所でもっと最善の行動が、と思うに違いない。
今後もその都度その都度、イレギュラーな事態にぶつかるだろうしその度に判断を迫られるに違いない。人生とは得てしてそういうものなのだろうから。
だが娘にとって父親は僕一人だし妻にとって夫は僕一人だ、という事は今回の一件で強く痛感した。

往復の名古屋静岡間の運転は思ったよりも平穏に過ぎた。
往路は妻へ定期的に報告を入れながら、そして妻から緊急の連絡がないのは娘が無事であるという証明であると理解しながら、ではいざ臨む演奏に対してどのように向き合うかと考えながら。
復路は終えた演奏の反芻をしながら妻とハンズフリーで通話をしつつ娘の体調を聞き、単身娘の世話をしてくれた妻へ如何に報いようかと探りを入れながら。
満腹状態でなければ意外と眠気は襲ってこない事、単身での浜松入りは意外といける事、運転中は独り言が増える事等知った。

この日の演奏は大きなステージに大きな音、ゴージャスな環境での演奏だった。
演奏が始まると同時に、感謝しながら思い切り弦を殴りつけるように気持ちを込めてピッキングした。

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