先日のパイプカツトマミヰズのライブでの自身の演奏について、その時のベストを尽くしたとはいうもののどうにも煮え切らない手応えが残ったので炭酸さん(ドラム担当ボランティアメンバー)を誘ってパイプカツトマミヰズ2026リズムセクションでスタジオに突入してきた。
定刻通りにスタジオに突入するつもりが娘(長女、次女)の寝かし付けからそのままウトウトしてしまいまさかの練習開始時間に起床。大慌ててで機材を車に積み込んでスタジオに到着する事15分遅刻。平謝りで練習開始。
個人的に最近練習行為について考えているのだけれども、特にパイプカツトマミヰズみたいな「興奮のあまり訳が分からなくなった方が良い演奏となる(と思い込んでいる)」ようなバンドにとって練習の意味とは果たして何であろうか。
どれだけ本番さながらの環境で演奏したとて、本番と決定的に違うのはそれが『本番ではない』という事。緊張感も興奮もやはりライブ本番当日のそれとは似て非なる物であり、当然本番中に幸運にも感じる事の出来る『訳が分からなくなる』感覚は練習では到底到達し得ない。その状態になった際に興奮に演奏が追い付いてくるように練習をしたいのにその状態に至る事が本番でないと出来ないというのは何たる事か。
そもそも『訳が分からなくなる程』興奮するのが正解なのか、その状態が良い演奏だと定義する事自体が間違っているのか、そしてそもそもが練習でその状態に至る事が出来ない事が不徳の致すところなのではないか等、様々な疑問がこれまでも現在もそしてこれからもきっと脳裏をよぎるだろうけれども、一切合切をベースアンプから感じる塊のような振動でなぎ倒してきた、なぎ倒していく。ここで賢しくなる必要はない、と思っている。パイプカツトマミヰズの演奏に於いてはもっと単純明快な回答で答えに到達したいという気持ちが強い。
そんな練習行為について様々な思いが去来する中でリズムセクションでスタジオに入って意味があるのかと言われたらそれはわからないけれども、少なくとも直近に控えたライブに対しては「リズムセクションで1時間半近く練習スタジオに籠って割と細かく練習をした」という事実と自負の2つだけは持ち込む事が出来そうである。
ちなみにライブで演奏する予定のセットリストを1回通した以外はあーでもないこーでもないと炭酸さんとトークセッションだった。自分以外の演奏者と一緒にアンサンブルを構築する事が合奏ならば、きっとこんな意思のやりとりも演奏行為に結び付くはずだった。

「新しく持ってきたばかりのスティック、へし折っちゃいましたよ~ォ」と炭酸さん。
この爽やかながらも狂気を感じる笑顔を見よ。